北海道で行方不明になっていた小学生が6日ぶりに発見された。
父親において行かれた場所から数キロ歩いて、偶然たどり着いた自衛隊演習場内の廠舎で過ごしていたようだ。通常なら施錠されている廠舎が開いていたことと、廠舎にマットレスが置いてあって暖が取れたこと、食料は無かったものの水が出たことが、小学生の命を救った。本人もかなり心細かったと思うが、親の後悔も計り知れない。
山の中に子供を置いて行った父親は世間よりかなりの批判を受けるのは当然だろうが、実際のところ、そこまではないにしろ、昔から親の言う事を聞かない子供たちは、そこそこの「罰」を受けてきた。放置とかネグレクトなどではない「罰」。「おやつ抜き」とか「お小遣いあげない」とか、そういうことの積み重ねで、これをすると良いとか悪いとか、ずる賢くも子供たちは身に付けてきた。
今の子供たちをそういう目に遭わせると、周囲の大人たちが「虐待だ」と騒ぎ立てることもある。勿論、子供たちの尊厳を軽んじるような「罰」という名の「虐待」は許してはいけないが、一事が万事、そういう括り方をするのは、どうもそこの家の「子育て」の邪魔になるような気がしてしまう。ただ、こういう考えが、虐待を見逃してしまう可能性もあるから、一概には言えない難しさがある。
とりあえずは、無事に見つかったのだから、父親への寛大な処分を願いたいし、廠舎の鍵をかけ忘れたと思われる自衛隊員の「犯人探し」はやめてほしいと思う。