窓全開にしているとなかなか良い風が吹き込んできます。
地元局の天気予報などをみると、かなり暑かったようですが、山の中腹(?)に住む私にはそんなに暑さを感じることは出来ず。
筑豊のほうとかは降ってたみたいだけど、北九州はそんなそぶりもなく。
明日から小倉祇園らしく、遠くから太鼓の音もします。
例年、小倉祇園にはあまり積極的に行こうという気はないのですが、今年は特に消極的で。
いや、小倉生まれの小倉育ちにもそういう人間がおるんですよ。
そんなに血が騒がない。
日付も第三金曜日からの三日間なんていう流動的なスケジュールになってしまったし。
(昔は7/10~12固定だった。)
※祭りって奉納じゃないかなー?と思うので、日付を変えて意味があるのかと。
子供の頃は城下町から川一本隔てた所に住んでいたのですが、この「川一本」のせいで、山車を引っ張ったことも太鼓を叩いたこともナシ。
同じく川一本隔てた町でも、「商店街」のあった町は山車を購入してやってましたけど、うちは完全な住宅地だったからそういうことも無く。
小学校の同級生の多数が参加する中、うちはお留守番だったので、そこのところも、現在の薄~い関心につながっているような。
今は、昔と違って、企業参加も多いし、太鼓叩く人のガラもあまりよろしくないし。
(おねえちゃんが胸にさらし巻いて太鼓叩くような光景は、昔はありえなかったし。)
※この辺は数日前の山笠の考えと通じるのかな?>自分
っていうか、「無法松の一生」みたいなのはまず無いし。
あ。話はズレるけど。
「無法松の一生」の歌っておかしいのよね。
「小倉生まれで玄海育ち」って歌い出しですが、北九州には玄界灘、無いし。
生粋の小倉っ子ならば「小倉生まれで響育ち」だったらいいかな。ゴロは悪いけど。
(歌の通りなら、松五郎さんは小倉で生まれたけれど、芦屋以西、宗像とか福岡で育ったことになります。)
ええ加減なのであんまり好きではない歌だったりしますが、亭主の実家周辺では、「小倉生まれ」と言えばこれを想像するようで。
ま、仕方なし。
話を戻して、祇園さん。
単なる「祭り」としては出店や屋台などがあって楽しいけれど、(実際、中高生の頃はよく友達と行ってましたし、)大人になった今はどうもなぁ。
そんな感じで、涼風に吹かれながら、なんだか色々と思うのでした。