びくでん家主2号・アーの日記。
たいしたことを書くとは思われない。(なんだかなー。)
アルフィーファンサイトなのにTHE ALFEEネタは少ないかも。(…。)

 

2003年07月03日(木)

実は歳、とってます。

車の中でPAO-Nを聞いていて。
後ろの座席に亭主。
助手席には実母。

やがてMy Cheerful Songが始まって、
アルフィーの坂崎幸之助で~す、とかそういう陽気な声が聞こえてきて。
番組直前に少しボリュームを絞っていたんだけど、うちの母、
「この人たち、結構な歳でしょ?」
だって。
よく聞いてんなぁ!と感心しつつ、
うん、昭和29年だからねぇ、今日の叔父さんより一つ下かな、と返事。
すると「あぁ、そうなの。」と意外そうに返されて。
…だろうなぁ。
昭和29年にしては若いよねぇ。(苦笑)

今日は、7月1日に亡くなった、私の実父の下から二人目の弟(昭和28年生まれ)のお葬式でした。
で、My Cheerful Songを聞いたのは、火葬場から初七日法要をする所への
移動の最中でした。

6月27日夜に脳幹出血で倒れた叔父は、そのまま眠ったまま7月1日の早朝に亡くなりまして。
…とは言っても。
実は私はその独身の叔父とは殆ど行き来がなかったので、
(っていうか父方の親戚とは、と言った方が正しいな)
実際「倒れた」という連絡を貰った時は何事かと。

叔父と同居していた別の叔父(実父の一番下の弟)とうちの両親が
とりあえず倒れた日から数日、病院に通い、
でも集中治療室にいたので、特に何をするでもなく。

入院した時から脳内の出血は進んでおり、
脳内に貯まった水を抜く手術をしたとしても、
出血しているのが脳幹部分で、運動機能を司るあたりなので、
よく回復したとしても植物状態、
ただしその可能性は殆ど無いという説明で、
生命がいつまで続くかは時間の問題と、そういうことでした。
何しろ、うちの両親が病院に着いた時点で、
既に生命維持装置が付いていて、それが無ければ死んでしまうということだったそうな。

それで、先週の土曜日・28日には千葉に住む、実父に激似の叔父さんが来たり。

お葬式とかまぁ色々とモメることもあったようですが、
長兄の長女(=ワタクシ)は具体的には知らず。
…葬式も最初は叔父の家で近親者のみだった筈が、
何故に葬儀社ですることになったんだ?という感じで。

ワタクシの叔父ではありましたが、
行き来が本当に無かったので「悲しい」という感情は無く。
どちらかというと、弟の死に際して悲しんでいる実父を見て、
可哀想だなぁという感情のみで。
(冷たいでしょうけど、そういう感情にしかなれない。)

叔父が一体どのような暮らしぶりをしていたのか、
同居していたもう一人の無口な叔父からはあまり語られませんでした。
ただ、諸手続きに必要になりそうな書類を整理していたら、
去年度の確定申告の用紙が出てきて、そこに書かれている内容は絶句するものでした。

こうやって突然、意識不明になるなんて思っていないだろうし、
本人も病気なんて一度もしたことがなかったようで、
とにかく蓄えも全く無く、
まさかの時の備えも無く。

こういう状況では全くもって世知辛い話だけど、
集中治療室で高度医療を受けているけれど、
そのお金は一体どこにある?みたいな状況で。
(結局、兄弟で分担したようですけど。)

生前に色々な手続きでお役所に行きまして。
お役所の方も絶句しておられましたが。
…私の実父にしてみれば、どうしてこんな状態で?と
そこまでの状況を把握できていなかったことを悔やんでいるようで。

その日暮らし。
その時がよければOKみたいな。
自分ひとりで生きていて、完全に自分の責任で全てをやっているからOKみたいな。
書類などからはそういう姿しか見えてこないんですよね。
それは「自由」なのかもしれないけれど、
周囲にとっては迷惑この上ないことです。

本当の意味の自由は多分、
誰の迷惑にもならないことが前提だと思うので、
そういう観点においては非常に中途半端で。
少なくとも、独立した大人なんだから、
どうにか自分でしているべきだったんじゃないかと、
私から見れば余計な後悔をしている実父の姿を見ながら
叔父に対して憤りを感じたり。

人間、いつまでも健康じゃないし。
色々言っても一人で生きているわけではないので、
自由に生きているつもりの方々は、
最低限のことはやっていなさいよ、というわけで。(なんだそりゃ。)

メンバーよりも一つ上の叔父でしたが、
脳みその中身の病気は、年齢に関係なく起こるらしく。
日頃気をつけていても気をつけようがないらしいし。
それこそ、私だって亭主だって、いつ脳みその病気でポックリ逝くかもしんない。

…なんだか色々と考えたこの1週間でした。