びくでん家主2号・アーの日記。
たいしたことを書くとは思われない。(なんだかなー。)
アルフィーファンサイトなのにTHE ALFEEネタは少ないかも。(…。)

 

2008年12月19日(金)

合掌。

アルフィーファンにもおなじみであろう田家秀樹さんのブログを読んでいるのですが。
そちらのブログ「猫の散歩」のタイトルの由来にもなっている猫のトミーが昨日お亡くなりになったそうで。
最期は田家さんの側で逝かれたようです。

しばらくは田家さんの夜のお散歩も淋しいかもしれません。
合掌。

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読んでいて、自分ちの猫が死んだ時を思い出しました。
(ここ数日、容態が悪くなってからのブログを読んでいて、ずっと思い出していたのですが。)
例えば、以前、ここにも書いたことがありますが、2005年5月のことなど。

今まで、私自身は3匹の猫と付き合ったことがあるのですが。

1匹目・2匹目は親子。
私が小学4年生(=1979年)の秋にもらってきました。
親は私が21歳の頃(1990年)、病気で逝きました。
私は当時、福岡市内に住んでいたので、この猫が死んだ姿を見ておらず、しばらくは「いない」という実感がありませんでした。
子のほうはそれから遡ること3年。
高校3年(1987年)の冬に交通事故(推定)で逝きました。
活発な子だったのですが、少し離れたところではねられたっぽく、家の近くまで歩いてきて死んでいました。
ちょうど短大の推薦入試の寸前。
…そっか、11月末だったんだなぁ。
(親のほうはその3年後のやはり寒い時期だったかと。妹の受験期だったような気が。)

で、2年後の92年秋にやってきたのが、05年5月までいた猫。

そういうわけで、今は猫ナシ生活。
近所の猫を愛でる生活なわけですが…。

やはり、余所さまの猫のそういう話でも、自分ちの猫のことを思い出しますね。
そういうのにもう遭遇したくないから飼わない、なんて気持ちはないんですけど。
(少なくとも私は。)

ちなみに今の「猫ナシ生活」ですが、階下に住む実父が反対しているからで。
…というのも、3匹目に飼った猫、実父はかなり好きだったようで。
あれが逝った時のことがやはりショックみたいです。
(口をついて出るのは最初に飼った親のほうの話題が多いのですが。)

それで「もう飼わない」と言い続けて3年半。

でも、うちに家族が増えた後は飼ってもいいかな、という話を実母としているようですが。
(私には言わないけど。)
実父もようやく、そういう気になってきたようで。

実際はどうなるかはわかりませんが。

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逝ったものの抜けた穴を、全く同じ形ですっぽりと埋めるものなどはこの世にありはしませんが、いつかその穴を抜ける風が痛く感じなくなる日が田家さんにもくることを、祈ってやまないばかりです。
早く、とは言いませんが。