びくでん家主2号・アーの日記。
たいしたことを書くとは思われない。(なんだかなー。)
アルフィーファンサイトなのにTHE ALFEEネタは少ないかも。(…。)

 

2002年01月17日(木)

悔いなく生きたと誇りを持てる自分でいるのか。

夢の中で、私はスペースワールドの、今はない建物にいた。
そこは、93年からの私のいた部署の詰所で、現在は取り壊されて無いんだが、
夢の中ではしっかり現役で使われていた。
周りを見回すと、もう会う事はないだろうと思っていた人たちがいた。

そのうちの一人とは仕事の中で口論して、そのまま、彼女は辞めてしまった。
夢の中で、何を話したかは覚えていないが、取りとめも無い話をしたような気がする。

一人は、実はたまに今の職場が入居しているビルのエレベータで姿は見かける。
自分より年長のその人は、現在、同じビルの別のテナントにいる。
会った時、話すことは全く無い。挨拶程度。
スペースワールド在職中、彼女とは特に喧嘩をしたわけではないが、
彼女の仲の良かったある人と私の仲が悪くなり、そのまま。
夢の中の彼女とは、今、同じビルの中で互いにどういう仕事をしているのか、
談笑していたような気がする。

しばらくすると、何人かの人が入ってきた。
その中に。
現在、同じビルで働いている彼女と、仲の悪くなるきっかけになった人がいた。

あ。

そこで目が覚めた。
タイマーで自動的に電源が入る枕元のテレビで、
今朝早い時間に神戸で行われた追悼集会の模様が流れていた。

食事の用意をしながら血圧の低いボケた頭で、
数日前にスペースワールドに行ったからこんな夢、見たんだなぁと思った。

そういえば、7年前のあの日は朝からスペースワールドで仕事があった。
私が出勤する頃は、各地で火の手が上がり、死者は20人とか言っていた。
仕事に行くと、同じシフトに姫路出身の大学生の男の子がいて、
実家に連絡が取れないと慌てていた。
その様子を見ていたチーフが、その男の子に、連絡があるかもしれないから
とりあえず帰宅しろと言っていたっけ。
仕事を終え、帰宅して、関西に住む知り合いに電話してみようとしても、
誰一人、電話が繋がることはなかった。
前日、HEY HEY HEYでメンバーが「孤独の影」を唄っていた。
自分にとってはアルフィーファンであることを再認識させてくれた曲だ。
アルバム「夢幻の果てに」のリリース数日前。

この出来事と、3月20日の東京の地下鉄での大きな事件があってから、
自分の中で色々と考え方が変わった。
1995年は自分にとってそういう年だ。
正月の「孤独の影」、1/17の地震、3/20のテロ。

人間、生きていると何が起こるか分からない。
だから、生きているうちには精一杯、悔いが残らぬようにしようと。

何年間も好きな人がいた。
年に2、3度、アルコンで再会を果たす同級生だった。
好きだと言ったことは無かった。
でも、7年前の自分には付き合っていた人がいた。
前年の夏、横浜のイベントから帰ってすぐの頃、
スペースワールドにいた人に告白されてそのまま付き合っていたが、
これで良いのかなと正月に「孤独の影」を聞いてから考えていた。
ずっと好きだった人を忘れられるかもと思って付き合ってきたんだが、
その人はアルフィーが好きな自分を、受け止めてくれなかった。
アルコンで好きだった人と会う度に、忘れられない自分がいた。
1994年のクリスマスは、仕事が忙しいこともあったが、
付き合っていた人のこともあって武道館には行かなかった。

悔いは残してはいけない、という気持ちがより一層強くなったのが7年前のこの日。

あぁ、そうか。
だから夢に出てきたんだ、この日に。

その人のことを好きだった、仕事で口論した彼女。
その人を弟のように可愛がっていた、現在同じビルに勤める女性。
そして、最後に入ってきた、7年前に付き合っていた人。

悔いなく生きているだろうか、自分は。
少なくとも、7年前当時、何年間も好きだった人は、
今、こうやって日記を書いている自分の後ろでテレビを見て笑っているが。

地震から1ヶ月も経たず、自分は、いい加減な気持ちで付き合ってきたことを、
当時の同僚だった付き合っていた人に詫びた。
そして、好きだった人に自分の気持ちを打ち明けるかどうか悩んでいたが、
3月のテロで、打ち明けることを決め、現在に至る。

毎年、思い出すのかもしれない。
地震の被害に遭った方にはあまり大したことではないのかもしれない。
その方々の考えたことにすれば、ちっぽけなことかもしれない。
でも、この日が来ると毎年思い出す。
毎年、振り返って思う。

悔いなく生きているだろうかと。